好きな物を見つけ出す事の楽しさ。

いまの世の中には物が溢れすぎています。

インターネットで検索をかければ、何かしらの情報が入ってきて欲しければすぐに手に入れる事が出来ます。

これらは当たり前の事ですが、先日ライブを見に行って、その流れが顕著であると改めて実感しました。

 

私は当日、ライブで披露された曲の数々に感動してすぐに音源を得たいと思い音楽ストリーミングサービスに頼りライブ終了後に直ぐに曲を振り返って聴きました。

しかしそこで、便利で聴きたい曲をいつでも何処でも聴く事が出来る状況になったと理解したのですが一方で寂しさも覚えました。

 

音楽を聴きたければネット注文や音楽ストリーミング、YouTube等何かしらの方法で見ることができますが、少し前までは当然ながらCD屋に行ってからそこで目的の物があるか分からないまま探して、やっとの事で見つけて再生する方法しかなかったのです。

 

私が小さい頃はCDショップやTSUTAYAに探しに行って、そのお店にCDが置いてあるか探します。しかしそのお店で見つからな得れば、次のお店にまた探しに行く。という地道な作業を繰り返していた記憶があります。

その1曲を探す為だけに自分の足で行動して見つけた時の感動や、見つからなくても、探している最中に新しい曲等の新たな発見があり、それがまた楽しかった記憶があります。

 

 

先程から話してますが、今はインターネットですぐに再生出来て、目的のその曲を探すといった作業はとてつもなく簡略化・最適化されていてストレスがかかりません。

 

ですが、自分の足で歩いて探し回った中で入手した時の1曲に変わる事ほど良い瞬間や、それまでに体験できる事がただ携帯一つで出来る事とは違います。

現代サービスの利便さに乗らず、あえて面倒な事をやる楽しさを自分自身に求めていきたいと思います。

 

他にも本でもそういう体験をしました。

むしろ本の方が難しいかと思います。特に再販してない本を神保町の古本屋で探して回って見つけた時の素晴らしさは今でも覚えていて、一人でしか共有できないながらも忘れられません。

そういう簡単を得る機会が無くなる事の寂しさを考えています。

 

効率化や最適化を目指していく事に間違いではなく、どんどん便利になっていく社会は自分自身とても好きです。

しかし、そんな中にもあえて面倒な事をするという週間を取り入れて、物に出逢うまでに取り巻くその周りの絡みや、ストーリーを楽しみにして物と自分との間に深さみたいなもの作っていきたいと思います。